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INFO:
「お仕事はなにを?」美容院で私は「アイドルです」と答えた_美容師さんは、ハサミを止めて鏡の中を見つめた「そんな方に、ご指名いただけたなんて光栄です」と、微笑んだ_私も微笑んで「先月、卒業したんですけどね?」と言った_「そうなんですか? いまはなにを」「アイドルです」「あれ? 卒業したって」「卒業しても、アイドルはアイドルのままなんです、ファンのみんなはまだ、ファンでいてくれるので、私はアイドルで居続けるんです」美容師さんは「素敵です」と笑みを浮かべて、私の髪をクシでといた_「でも、それって辛くないですか?」美容師さんは訊いた「それだと、普通の生活と言うか、一般的な幸せ? みたいなものが送れないんじゃないかなって」「そんな遠回しに聞かなくても、恋愛面ですよね?」「はい……」美容師さんは苦笑いをして「そうです」と、目を細めた_「私、彼氏ほしいですよ?」「ちょっと、声大きいですよ」美容師さんは、周りに目を配った_「いいですよ別に、炎上しても」「だめですよ」「いいんです、たくさんの愛を奪ってきたんだから、そのぶんの批難も浴びます」「だとしても……」「実は私、彼氏がいたんです」「え?」「その人とは、私がアイドルになる前にお別れしました」「アイドルに彼氏は、厳しいですもんね……」「はい、彼は、元カレにすらならなかったんです」「え?」「私との思い出も、連絡先もぜんぶ消して、私との繋がりを完全に断ちました」美容師さんは、ゆっくりとハサミを閉じた_「彼は、握手会にも、インスタのコメント欄にも現れなくて、この7年間、私がファンに愛され続けたのは彼のおかげなんです」美容師さんは、ゆっくりとまぶたを閉じた_「私の検索履歴には、いつも彼の名前がありました、ライブ中も、4万人のペンライトの中に、彼の姿があるんじゃないかって、いつも探していました」鏡の中で、美容師さんと目が合った_「今日だって、ここに来たのは、彼の名前がようやくヒットしたからです」昨日の夜、検索に掛かった彼の名前_それは、1件の美容院を導いた_「ここの扉を開けたとき、私をひとりの美容師さんが出迎えました」『お待ちしておりました』そう言って、微笑む彼が立っていた_「ほんとは、気づいてたんでしょ?」私は、鏡の中の彼に言った「そこに置かれた花」私は、鏡の前に飾られた花を指差した「紫の花、私のメンバーカラーだもん」彼は、私の指先を見つめて「この花を選んだのは、花言葉が『君を忘れない』だからです」とつぶやいた_私は頷いて「私も、だよ……」と、顔を塞いだ_彼はドライヤーをつけて、轟音を響かせた_私にしか届かない声で「ずっと、待ってました」と、言った_そして「よくがんばったね」と、私の頭を撫でた_涙がほほを流れて、私は「もう1度……」と、つぶやいた_彼を見上げて「やり直せるかな……」と、彼の目を見つめた_彼は、私のほほに触れて「炎上するかも」と言った_私は、首を振って「いいよ、それでも」と、彼の手のひらに触れた_彼は微笑んで「初めての炎上は、俺がいいね」とほほを赤くした_私は、切り立ての髪を揺らして、強く2回頷いた_彼は、ドライヤーを止めて私の手を掴んだ「ちゃんと、みんなが認めてくれる彼氏になる」と言った_私は、彼の手を握り返して「もうすでに、ふさわしい彼氏だよ」と言った_彼は、目尻にシワを寄せて「ただの、一般人だよ」と言った_私は、繋いだ手をほほに寄せて「ううん、私をなによりも輝かせた、私の中のアイドルだよ」と微笑んだ_彼は涙を浮かべて、目を細めた_私は「どこか、行きたい」と、彼に言った_彼は頷いて「誰にも、見られないところ」と、鏡の中を見つめた_目と目が合って、ふたりで「カラオケ」と微笑んだ_私たちのすぐそばには、紫苑の花が咲いていた_鏡に反射して、同じ顔がふたつ、揺れていた_鏡の外にはまだ、手を繋いで出られないけれど、「いまだけは」「うん、いまだけは……」私と彼は、光の中で手を繋いでいた_